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「3月11、12日福島バスツアーに参加して」

※ 当会の会員の方が書かれた文章をご紹介します。

 3月11、12日福島バスツアーに参加して

 311にはフクシマに立ちたいとの思いで毎年参加して5回目。今年は1泊2日で18名の方とご一緒しました。
 11日、往きのバスの中では、自己紹介を兼ねて4月からの電力自由化について情報や意見交換。
昼近くに三春町について「第5回 原発いらない地球(いのち)のつどい」に参加。手作りの料理をいただきながらのランチ交流会。後述のWさんが自宅の畑や田んぼでとれた安全な白菜の漬物、枝豆入りのおにぎり100個、その他の惣菜が並ぶ。
その後の全体会では、事故の犠牲者への黙祷の後、「今、伝えたい福島の現状―マスコミが伝えない事故から5年目のフクシマ」の講演。原発サイト内では1,2号機の排気塔の破断、汚染水や凍土璧の問題、被曝労働。生活圏では県内1,030ヶ所に積まれているフレコンバッグ、放射能ゴミの仮設焼却炉や中間貯蔵施設の問題、子どもたちの甲状腺ガンの増加。事故は収束していないのに、帰還政策で避難者を切り捨て、中学生を動員しての国道6号線の清掃や環境創造センターの開所など安全キャンペーンにつながる動きの危険性、自己の責任追及について、動画を見ながら説明を聞く。
午後3時からは昨年10月開所した件の環境創造センター本館を見学。原発事故には触れず、事故後の福島の「環境の回復・創造に向け」「安心して快適に暮らせる‘福島’にする取り組み」を目指し、3月に交流棟が完成したら県内の小学校5年生に必ず参加させて「本県の未来を創造する力を育むための教育」を行う、とのセンターの目的や職員の説明に参加者からは疑問や批判の声が上がったが、時間が少なく十分な質疑応答ができず残念。
宿に行く前に、三春町郊外の「地域と農家のためのコミュニティショップ『えすぺり』」に立ち寄る。
30年近くこの地で農業をしてきた経営者夫妻の事故後の苦悩をシイタケ栽培農家の人形劇に仕立てたものを鑑賞。
事故後2年は好きなギターを手にできなかったという夫さんの作った歌も聞く。「正義の味方はどこにいる」事故直後、国からは放射能についての情報はなかった。100ミリシーベルト迄は安全という学者。放射能の危険性についてきちんと情報提供してくれた学者。でも、誰も、では、どう生きていけばいいのか教えてくれなかった。みんな、来ては去って行った。「正義の味方はどこにいる」
食の安全をめざし有機農業を営んできたのに、放射能汚染された土地で、どのようにして農業を続けて行けばいいのか。線量を計り、基準値以下でも数値を消費者に詳細に知らせ、判断してもらう、それが今のところの夫妻の結論。
「食べて福島を応援しよう」のまやかしには反対、でも、ここで生きることを選んだ農家の覚悟や苦悩、不安に消費者としてどう向き合えばいいのだろうか。
翌12日の午前中は14年4月に真っ先に非難指示が解除された田村市都路地区を見学。都路には今も戻らず、県下で有機農業を続けているWさんがバスに同乗、案内してくれた。彼女が30年近く栽培をしていた梅林に行く。無添加の梅干しは美味しいと評判だったそうだ。青空の下、早春の日差しを受けて、木々や農家の屋根が光る、のどかな山間の里。しかし、畑や人家のすぐ脇にフレコンバッグの山。話をききながら、この梅林に今頃満開だっただろう梅の花が瞼に浮かぶ。「ここの、こしあぶら等の山菜はうまかった。養鶏・豚・牛農家が多く、都路牛も評判だった」。そんな暮らしも原発事故で吹っ飛んだ。帰還政策で7割近く戻ったのは殆ど高齢者。
亀の形の大きな岩があってその脇から透明な清水が流れている所にも行った。きれいに整地されているのに、地面で計ると0.4μ㏜超。年1m㏜は0.115μ㏜。春、野原をよちよち歩きする幼子がタンポポやオオイヌノフグリを見つけて駆け寄り、身を屈めて花に触れようとする。ダメダメ、ダメ―大声で叫ぶ。帰宅後、何度も夢を見た。福島の友人には、幼い孫と母親である娘が県外避難している人が多い。
除染の目標は年1m㏜だったのに、いつの間にか、避難指示解除は20ミリ㏜以下が基準。避難解除の説明会で反対したのは彼女一人。「放射能は危険だって言うと、帰還後米作りしている人たちからそんなこと言うから米が売れなくなると非難される。でも、本当のことは言わねば」と彼女は言う。
午後からは「原発のない福島を!県民大集会」とデモに参加。主催団体から情報提供された会場の郡山市開成山公園の線量が高いので、福島の友人のアドバイスどおり、お弁当はバスの中で食べる。町の人々はデモには無関心に見えた。「そこに、かえって、福島に暮らす人の緊張を感じた」と練馬から参加した別グル―プの友人が後で電話してきた。
放射能排出効果があるからとスギナ茶を差し入れてくれた友、当日は花粉の中に800㏃の放射能が含まれていたと電話で心配してくれた友。5年経ってもフクシマで暮らすことは緊張や苦悩を強いられる。事故の責任を取らず、自己を過小に見せようと帰還政策が始まっている今、とりわけ、農家の人々の苦悩は深い。
桃源郷のように美しい都路の風景の中で避難した家族の荒れ果てた家、「えすぺり」の夫妻の歌声、Wさんの福島弁のゆったりとした話し声の中の苦悩と原発に抗う決意の声、忘れられない。
見てきたこと、感じたこと、うまく伝えられないけど、どこでも、誰にでも、機会あるたびに話したい。
バスの中で意見交換した電力自由化のみんなの結論めいたものは、新電力の電源構成がきちんと明らかにされていないし、原発由来の電気が完全に入ってないところは殆ど無い。でも、打撃を与えるために東京電力だけは避けたい、だった。
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